たびときどきにっき(中国編
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旅の準備編

たびときどきにっき(パキスタン編 2001・5・2〜2001・7・6)
たびときどきにっき(タイ編 2001・7・6〜2001・7・11)
たびときどきにっき(マレーシア編 2001・7・11〜2001・7・20)
たびときどきにっき(インドネシア編 2001・7・20〜2001・9・18)

2001年3月23日 出発しました。

11:30 神戸から中国快航株式会社のフェリー、燕京号に乗船しました。12:00 天津に向けて出帆です。予定は、

23日(金曜日)
日本時間 12:00 神戸港 出帆
13:00 明石大橋 通過
15:40 瀬戸大橋 通過
18:00 来島大橋 通過
24日(土曜日)
日本時間 00:00 関門海峡 通過
11:00 韓国・済州島東側 通過
25日(日曜日)
中国時間 00:00 山東半島 通過
12:00 天津港 LIGHT HOUSE 通過
14:00 天津新港 着岸

ルートは、

航路図

天津についたら、北京に直行、その後、西安、敦煌を回りカシュガル(上図の左端)をめざします。

2001年3月27日 北京にて
いま、北京の京華飯店(JING HUA)にいます。北京は寒い!

一泊30元でめちゃくちゃ綺麗なホテルです。同じ部屋に日本人5人とチェコ人の夫婦、南アフリカ人がいます。毎日同じメンバーです。

船はかなり揺れました。ゲロ大会のようでした。みんなゲロゲロ。私は、揺れる前に医務室で薬を買ったの大丈夫でした。でも体が揺れている感じはまだあって、歩いていてもちょっとふらふらします。

船が天津について(3/25日)、船の同じ部屋で仲良くなった中国人に天津駅まで連れて行ってもらいました。でも、天津から北京までの切符がとれなかったので、しかたなくその中国人とバスで北京に行きました。

北京についたのが21時くらいだったので、地下鉄とバスを乗り継いでホテルにいこうと思っていたら、船で知り合った日本人に偶然出会って、5人で一緒にミニバスをチャーターして目的のホテルに着きました。

ホテルについて、5人で中華料理を食べに行きました。中国語ペラペラの人がいたので全部まかせました。すごく安くておいしくて、お腹いっぱい食べました。

天津の港についてから天津、北京、ホテル、ご飯。。。全部私は何もしていません。すべて他力本願。。。。あはは、なんとかなるもんです。

昨日(3/26)は、北京の街を一日うろうろしました。足にマメができました。北京の中心は、道路が広く建物も立派で日本より綺麗です。でも裏道に入るとめちゃくちゃ汚い。ゴミはいっぱいで道路もがたがた。家もぼろぼろ、人もとても貧しい身なりをしています。

それから、大同(タートン)行きの切符を取りに行きました。中国では、切符はとても取りにくいと聞いていたけれど、すぐに取れて拍子抜けしました。用件は全部紙に書いて見せただけです。それに係員は英語を話してくれました。態度も親切です。けれど、皆が「それは運がよかっただけ」といいます。

今日(3/27)は故宮に行きます。明日(3/28)は万里の長城に行きます。あさって(3/29)はゆっくりします。3/30日は大同に向かいます。30日の夕方に大同に到着予定です。
それではまた!

2001年3月29日 北京(故宮と万里の長城)

さてさて、27日は故宮に行きました。とっても広くて大きくて感動!

入口で日本語のテープを借りました。このテープは30元しますが、とてもお勧めです。ただ見て回るだけでは意味がわからない建物を、テープが全部説明してくれます。

故宮から帰ってきて疲れてしまい、足が痛くて痛くて歩くのがたいへんだったので、28日は、一日ホテルで休みました。2時間だけ近くの市場に食べ物を買いに行っただけです。

ドミトリーの同じ部屋には、日本人が5人です。メンバーが入れ替わって、北海道教育大学で書道研究をしている学生が3人います。彼らは、2泊して出て行きました。

29日、今日は、北京駅で大同(タートン)から洛陽(ルオヤン)までの切符がとれるかどうか、試しに行ってみました。案の定、どの窓口でも、「無い」、「無い」、「わからない」と言われたけど、粘り続けたら調べてくれました。調べられるなら始めから調べてくれたらいいのに!でも、相手の質問に答えられなかったから、完全に無視されました。むかつく!

それでもねばって、やっと座席を見てくれたけど、結局「メイヨウ(無いよ)」と言われました。でも、粘りまくれば、切符が取れるということがわかりました。

切符の問答だけで大汗かいて疲れたけど、今日は万里の長城に行くって決めていたので、バスを探したら「万里の長城」って書いてあるバスを見つけたのでそれに乗りました。

そのバスは、38元でした。万里の長城までの片道だと思っていたけど、実はツアーバスだったらしく、2個所の長城に連れて行ってもらえました。ガイドはすべて中国語なのでさっぱりわかりませんが、集合時間などは日本語で教えてくれました。とても親切なガイドさんでした。

万里の長城は「すごい」と聞いていたし、写真などでよく知っていましたが、実際に見るとめちゃ感動しました。すごい!すごい!
百聞は一見にしかずっていう言葉がぴったりです。

ツアーバスは、中国人ばかりでしたが、万里の長城は日本人がいっぱい。中国人より日本人のほうが多いかも!?

それから、「明の13陵」の中の「定陵」にも連れていかれました。
でも、定陵の地下宮殿はすべてレプリカなのでつまらなかったです。

定陵の参道をボケ〜っと歩いていたら、なんと、天津行きの船で同じ部屋だった慶応大学の学生2人に再会しました。こんなところで逢うなんて!

彼女たちは、毎日観光していて、かなり疲れているようでした。私は、1日ゆっくり休んだので大丈夫ですが。彼女たちも私と同じ系列のバスに乗ったそうです。
そしたら、入場料込みで140元も取られて、行きたくも無いお土産さんに寄らされるので嫌だと言っていました。私は、入場料抜きで38元払って、彼女たちと同じコースです。

私は、万里の長城も、明の13陵も偽学生証を使って半額で入ったので、全部で71元ですみました。彼女たちの140元とは大違いです。たまたま乗ったバスでしたが、ラッキーでした。

明日(30日)、北京を発ちます。

人民はあちこちに平気で痰を吐きます。
人民はあちこちに平気で鼻水を飛ばします。
人民はあちこちに平気でゴミを捨てます。

北京はゴミでいっぱいです。
この街は今建設ラッシュで、街中が埃だらけで、顔がすぐに真っ黒になります。すぐに喉を痛めるので、私はずっとマスクをしています。

マスクをしてグラサンかけて、パーカーの帽子を被って、スーパーの袋を提げて歩いている私に、物売りたちも声をかけてきません。どこから見ても怪しいやつ。。。。

こんなに汚くて、サービスという言葉が存在しなくて、トイレが汚くて、滅茶苦茶な街にオリンピックが来るかもしれないなんて絶対反対です!

さて、明日は、大同(タートン)に移動します。しばらくインターネットもメールもできないと思います。大同で切符が取れれば、洛陽(ルオヤン)に行きます。洛陽が取れなければ、西安(シーアン)に行きます。それも取れなければ、切符を取りにまた北京に戻ってきます。
それではまた!


2001年3月30日 北京(北京ダックを食べる)
昨夜北京最後の夜は、ホテルのバーで北京ダックを2人で半分注文して食べました。半分なのでくちばしも半分でした。味は普通の鶏肉と同じ感じ。かわいいあひるちゃんの顔が浮かんだけど食べちゃった。


2001年3月31日(大同にて)
3/30日に北京を出て寝台列車で7時間、夕方に大同(タートン)に着きました。大同についてすぐ、駅の中国旅行社に行って、4/3の洛陽行きの切符を手配してもらいました。だいぶ手数料を取られてしまった。

係りの人は英語がぺらぺらで、手配もすぐできました。「ホテルは決まっているか?」と聞かれたので、「No!」って言ったら、「いいホテルがある」と言ってすぐ駅前のホテルを紹介されました。「ドミトリーじゃなきゃいやだ」と言ったら、「ドミトリーもある。40元だ」と言うので、決めかねていたら、引出しから日本の「地球の歩き方」を出してきて、「ここだ、大丈夫だ」と言います。

私の持っていた「地球の歩き方」コピーにもそのホテルが載っていて、大丈夫そうだったので、交通の便も良いし、まあまあ安いのでそこに決めました。ここもきれいなホテルで、4人部屋のドミです。

同室にはフランス人のきれいな女性がいて、4人部屋に2人で泊まりました。会話はすべて英語だけれど、相手のほうが何十倍も上手なので、私は会話するのに疲れてしまいました。私の英語力は中学生並です。マジで。なんで忘れてしまったのー!?英文考えるのが苦痛です。たくさんしゃべりたいのになあ。

2001年3月31日(大同、雲崗石窟にて)
3/31日は大同を世界的に有名にしている雲崗石窟に行きました。「地球の歩き方」の通りのバスに乗ったら全く違う場所に行ってしまい、バスの車掌のおばちゃんに聞いても全然相手にしてくれないので、(何で中国人はこんなに冷たいのか?)、そのバスに乗ったまま引き返すことにして、隣に座った軍人さんに地図と会話集を差しながら現在地を聞いて、「ここに着いたら声をかけてください」という文章を指差して、降りる所に着いたら教えてもらいました。

公安と軍人さんは割りと親切です。親切といっても、日本のレベルでは全く親切ではありません。地図を見ながらなんとか乗り換えて、石窟に行くバスに乗れました。日本語で書いてある石窟の説明書を広げて座席に座り、真っ黒で汚くてがたがたのバスに乗っていたら、石窟の降り場にバスが近づいたとき、近くの人がさりげなく「到了(着いたよ)」と教えてくれました。

石窟には相変わらず偽学生証で半額で入りました。石窟はすばらしいものです。窟の中は人が少なくひんやりしていて薄暗いのでめちゃくちゃ怖い。大仏の首の所にひびが入っているので、落ちてくるんじゃないかと、かなりどきどきしました。半分見終わったところで、なんと、船が一緒で北京でも同じ部屋だった人と再会しました。彼とは夜一緒に食事に行きました。今酔っ払ってます。

2001年4月1日(大同にて、のんびり)
3/30日にルームメイトだったフランス人は移動したようです。3/31日のルームメイトは、韓国系アメリカ人で中国の大学の留学生です。

4/1、今日はのんびりする日なので、だらだら寝て、繁華街にぶらぶらしに行きました。北京にいるときからそうだけど、一日歩くと白い靴下が真っ黒になりますおおげさじゃなくて、ほんとに黒くなります。特に大同は石炭の街として有名なので、何もかもすすけて遠くも見えないし、すぐに手が黒くなります。おしゃれをしている若い女性は、バスに乗っても座りません。座席が汚くて服が汚れるからです。バスの手すりをちょっとさわってしまっただけで、手がすすだらけになります。

今日は薬屋でタイガーバームを買おうという目的で出かけました。鼻炎が治らず、ずるずるやってたらルームメイトのフランス人が「タイガーバームを鼻に塗るといい」と教えてくれたからです。タイガーバームは中国語で、「清涼油」と書きます。ナザールがもうすぐ無くなるので辛い。中国の点鼻薬は全く効きません。直径1.5cm、高さ5mmくらいのちっちゃな「清涼油」は、0.5元でした。

公園でのんびりしようと思い、公園に向かったけれど、入口まで遠そうだったので、網の破れたすきまから公園に入りぼっ〜としました。帰りはちゃんと出口から出ましたが、なんとその公園は、有料でした。不法侵入しちゃったのね。でもばれなかったからいいや。

明日は、郊外の懸空寺に行くので、バス乗り場、値段、時間を調べに乗り場らしき所に行って、頑張って中国語で聞いたのに、何かをぐちゃぐちゃ言って全然わかりやすく言ってくれず、無視するので、むかついて、机をバンバン!って叩いて、「ちょっと書いてよ!」って日本語で言って、書くしぐさをしたら、やっとめんどくさそうに、「7点(7時)」と書きました。ほんま中国人むかつく。日に日に私の顔はけわしくなります。人相が変わりそうやわ。

大同初日に食事に行った店のおやじに、店の前で会ったらにっこりしてくれました。女一人で日本人なので覚えてくれていたようです。今日は4人部屋に一人です。いえい!今、TVドラマ見てて、役柄上、男2人が日本語で会話してるんだけど、片方が日本語めちゃへたくそで、2%くらいしか理解できん。

2001年4月2日(大同にて、ここはどこ?)
懸空寺に行きました。なんでわざわざこんな所に寺を作ったんだか。本当に細い木、数本で支えてあります。私の体重に耐えられるか心配になりました。学割は無く、保険付きで36元です。高い。

ここに来るのに国際旅行社に聞くと100元以上すると言われたので、バスの日帰りツアーに参加することにしました。前日おばさんに言われたとおり、7時にバス停に行って、「日帰りツアー」って書いてあるパンフを指差したら、おねーさんにバスまで案内されたので乗り込みました。

でも何だか様子が違う。汚い格好のおやじばかりで、でかい荷物を屋根の上にもたくさん載せています。もしや路線バスなのでは。。。そのバスは、五台山行きの長距離バスでした。

お金を払うときに「懸空寺に行きたい」と言ったら15元でした。集金をしてたおやじは、親切(!!!)で、バスの中で筆談でたくさん会話をしました。懸空寺は「不好」だ。五台山は、「好」だ。だから、五台山まで乗らないか?と言うので、帰りは何時か?って聞いたら、「明天」(明日)と言うので、明日列車で洛陽に行くからだめだと答えて、懸空寺の近くで降ろしてもらいました。

9時に着いたのでひと気がなく、山の上の方なので肌寒く、川は半分凍っていました。見学を終えて大同に戻ろうにも、バスが無いので、ふもとに見える街まで仕方なく歩いていくことにしました。

道はだいたい覚えていたので、豚や山羊や牛、馬が歩く村を通って街に向かいました。村人がみんな家から出てきてじろじろ見るけど、うんこをまたぎ、山羊をよけつつ歩き続けました。ようやく街のバス停に着いて、大同行きのバスに乗り、出発を待っています。バスはいっぱいにならないと出発しません。1時間くらい待ってるけど、まだ半分も埋まっていません。いつ帰れるんかなあ。。。っていうか、ここはどこ?

帰りのバスは、75元です。行きの半額や。中国人はバスの中でも痰をはいたり鼻水を飛ばします。床はいろんなゴミが散乱しています。大きいゴミは窓から外に捨てます。私も捨てます。「郷にいれば郷に従え」ってね。

2001年4月2日(大同にて、懸空寺から帰着)
懸空寺に2時間で行ったのに、帰りは5時間かかりました。疲れた。

今日のルームメートはオーストラリア人と日本人のカップルです。2人で長旅をしていて世界一周をしてオーストラリアに戻るそうです。英語のガイドブックを借りて西安の情報を読んでいたら、オーストラリア人に、「どうして英語が読めるのに、そんなにしゃべれないのか?」と言われました。だ、だって〜。そんなにひどいか?私のえいご。。。頑張ってしゃべってるつもりなんですが。。。明日洛陽行きの列車に乗ります。

2001年4月3日(大同にて)
やあやあ。
3/30日、北京からここ大同(タートン)に移動しました。ホテルのすぐ近くにインターネットカフェが結構あったのに、全然気がつかなかったよ。ここのインターネットカフェは北京と違って、日本語が読めません。誰か日本語環境をインストールしに来てくれ!

そのため、最近の日本のニュースを見てません。ここインターネットカフェは、同じ部屋になったオーストラリア人と日本人のカップルが見つけてきてくれました。1時間3元(約45円)です。北京のインターネットカフェが1時間16元だったので安い!安い!

この2人は世界中を旅してます。オーストラリア人は、「中国人は疲れる」と言って、どこにも行かずに2人で1つのベッドにずっとだらだらしてます。

中国は、旅慣れた人でさえ疲れる、とってもうっとうしい国です。みんな1泊で去っていくこの町に、もう4泊もしたので、顔なじみの店が増えました。何も言わなくても、店に入っただけで、私好みの量と具を入れてくれます。

けれど、この町とも今晩でさらばです。今夜22時20分の列車に乗って、洛陽(ルオヤン)に移動します。列車で18時間の旅です。列車は、寝台の下の段なので広いけど、昼間は上の人たちの座席になるのでちょっと嫌です。上の段を希望したのになあ。

洛陽では3泊くらいを予定しています。明日(4/4)の夕方に着きます。もしそこで西安(シーアン)行きの切符が取れなければ、洛陽でもうちょっと宿泊することになります。
それではまた!


2001年4月4日(大同->洛陽移動中、列車にて)
大同で22:20に出発なので、なじみの店にご飯を食べに行って一緒に写真を撮ろうと言ったら、その家の人みんな集まってきて、わいわい言いながら楽しいひと時でした。さよならするのは寂しかったです。

ホテルの9Fのソファーで時間をつぶすことにして、服務員に怒られるかと思っていたけど、別に何も言われませんでした。「シャワーを浴びたい」というしぐさをしたら、「いいよ」と言うので、浴びさせてもらいました。やさしいおばさんでした。大同の最後の夜はなかなか良かったです。

大同から洛陽への切符は、切符売場で「没有」(ないよ)と言われ続けたので、仕方なく手数料40元払って旅行会社で取ったのに、列車はすきすきです。やっぱり中国人むかつくぜ!世界旅行しているオーストラリア人と日本人のカップルは、「もう中国には居たくない」と言ってて、中国の旅行は、もう止めにするそうです。

4/5、ふう。洛陽に着きました。駅前の15元の部屋です。安いっ!

2001年4月5日(洛陽、龍門石窟の大仏の前にて)
大同の石窟に比べたら全然どうってことないっすよ。別に面白くも無い街なので、列車の切符が変更できたら明日西安に向かおうかな。洛陽は牡丹の花で有名らしく、4/15からは宿泊も5割増しだそうです。昨晩泊まった15元のホテルは連泊できないらしいので、またホテル探しをしなくてはなりません。面倒だよ〜。中国人は観光のとき、片手にビンに入れたお茶かペットボトルの水を持っています。持ち物はそれだけです。どこでもお湯はもらえるし、水はそこら中で売っています。スーパーや百貨店の従業員も手の届く所に水筒を置いています。それでひまわりの種(?)を食べながらお茶を飲み、ずっと大声でぺちゃくちゃしゃべっていて、痰をはきます。最低。チャイナドレスを着ているレストランのきれいなおねーさんもペッっと店に痰をはきます。最悪。列車の中は、痰と鼻水と種の皮でいっぱいです。中国人の足の臭さは有名ですが、ほんとにめちゃくちゃ臭いです。最悪です。

2001年4月7日(西安にて)
やあー。いま西安です。食べ物がおいしい。人がちょっとだけ親切。いいところです。お気に入りかも。

明日(4/8)、敦煌(トンコウ)に出発します。列車で34時間の旅です。気が遠くなりそうですな。。。

2001年4月8日(西安にて)
西安での最終日の夜、ホテルの近くの路地を歩いていたら、北京の最後の夜、一緒に北京ダックを食べた男の子と再会しました。妙なところで会ったのでお互いびっくりでした。もっと驚いたことには、彼は私と同じホテルの同じ階に泊まっていたのでした。すごい偶然。

同じホテルに日本人はたくさんいましたが、みんな同じ客引きのおねーさんに連れてこられていました。私も駅で客引きのおねーさんに「部屋を見るだけ」とか言ってついてきた口なので、そのおねーさんは、宿の決まっていない日本人を見分ける目があるな〜、と思いました。

私と同じ部屋の日本人の男の子も、チンタオまで同じフェリーだった友達と駅の近くで再会しました。そしたらやっぱり同じホテルに泊まっていて、なんと隣の部屋でした。偶然っていっぱい転がっているね〜。
ではでは。

2001年4月10日(敦煌にて)
敦煌(ドゥンファン)に朝の5時45分に着きました。北京と時差が同じなので、7時過ぎまで暗いです。車窓はずっと雪でびっくり。西安で敦煌から来た人に会ったとき、「敦煌は暖かいよ」って言ってたのに、すごく寒いです。一昨日20年ぶりの寒波が来たんだとか。だからもうこれ以上寒くはならないと思います。

体調をちょっと崩しているけど、ここで5泊ぐらいしたいと思います。飲める薬は全部飲みました。そして貴重なインスタント味噌汁も飲みました。

今朝は、バスステーション近くの飛天賓館にチェックインしました。一泊30元です。日本人がたくさんいますが、みんな1泊して他のホテルに移動していました。やはりこれからチベットに行く人が多いです。造りの割りに高いので、明日は向かい側のホテルに移動します。そこは1泊15元です。ベッドは板のようでした。ぜんぜんふかふかじゃない。でも、まあいいです。

今日は街歩きをしてきます。ここのインターネット屋さんは、日本語の表示ができます。このページも見てみました。

2001年4月11日(敦煌 ドゥンファンにて)
この街は、端から端まで徒歩15分の小さな街です。日本人が泊まるホテルも限られているので、多分いま敦煌にいる日本人パッカーには全員会ったと思います。

ホテルはみんなばらばらなのに、皆お友達状態で面白いです。一人で街歩きしていても必ずだれか友達とすれ違います。それくらい小さな街です。
今日は何もしていません。大事をとってかなりのんびりしています。

2001年4月12日 敦煌、莫高(ばっこう)窟にて
午前中、往復10元で「莫高窟」に行って来ました。一日30元で敦煌の一日観光ができるのですが、体調が悪く、午前中しかもたないだろうと思って莫高窟だけ参加することにしました。

ミニバスに揺られ、砂漠の中の1本道を走って、約30分、莫高窟に到着しました。入場料は、80元で日本語ガイドをつけると100元です。今までで一番高い!窟は全部鍵がかかっていて、ガイドが一つ一つ鍵を開け閉めするので、ガイドがいないと見ることができないので、ガイドをつけないとしょうがないです。日本語ガイドは数が少ないのか、なかなか来ません。日本のツアー団体が来たので、それについて行きなさいと言われたので、やっと入ることが出来ました。

じーちゃん、ばーちゃんばかり、10人ほどのツアー団体に付いて行く事になりました。彼らは何だか妙になつかしい感じのする訛りを持っていましたので、思い切って「関西の方ですか?」と聞いてみたら、「そうです、京都です」とのことです。以下かなりローカルネタになります。

私:私も京都なんですよ。
おばちゃん:あらそう!京都のどこ?
私:西京区です。
おばちゃん:そうなのー。私らはもっと北の方だからねー
私:どこらへんですか?
おばちゃん:綾部っていう所なんだけど。。。
私:そうなんですか!私、生まれも育ちも福知山なんですよ!
全員が振り返って:えー!そうなのー!?福知山のどこ?どこ?
私:荒河です。
全員:あー、荒河かー
でも荒河のことは皆な知ってた。そして福知山の笹尾から来ている人もいてびっくり。ローカルネタですんません。妙になつかしい感じを受けたのは、子供の頃なじんだ訛りがあったからだったんですねー。

莫高窟は入場料が高いだけあって、すばらしかったです。これで中国の3大石窟を見たことになりますが、やっぱりここが一番すばらしい!!色も鮮やか、保存状態も良く、一番でかい大仏は小指だけで私の身長ぐらいありました。とにかくすばらしいです。高くても行く価値あり!

さて、午後は、やはり体力がもたず、ホテルで寝てました。

2001年4月13日 敦煌、ホテルを移動
早朝ホテルを移りました。15元のホテルは、シャワーがとてもぬるく、風邪がぶり返したようなので、もっとふかふかベッドでホットシャワーがある所に移動することにしました。

移動先のホテルの名前は、「敦煌飯店」です。できればシングルルームが良かったけど3人部屋からしかありませんでした。下のランクから25、30、35、45元(だったと思う)なので高い部屋ならあまり人がいないだろうと思って45元の3人部屋にすることにして、値切ったら30元になりました。
やはり誰もいなくて、3人部屋を一人で使えました。早朝ホテルにチェックインして、夜までずっと寝てました。1回、近くの、ニコニコ食堂(日本語です)で軽食を取っただけです。

2001年4月14日 敦煌、また再会
昨夜はだいぶ体調も良く、共同洗面所で顔を洗っていると、北京で一緒に北京ダックを食べ、西安の路地で再会したあの彼とまた再会しました。毎回妙な所で再会する。。。
砂漠に行くほど体調が完璧ではないので、まだ行きません。もしかしたら敦煌を去る日まで砂漠に行けないかも。。。中国の点鼻薬が効かないことは以前書いたけど、風邪薬も効きません。漢方の国なのに。。。

2001年4月14日 敦煌のホテルについて
飛天賓館:
たいていのガイドブックに「バックパッカーが集まるホテル」って感じで紹介してあります。バスステーションのすぐ前だからかな?3人ドミで30元。つくりの割りに高い。

同部屋の男の子が貴重品や持ち物の管理がずさんだなーと思っていたら、案の定やられてました。頻繁に服務員が入ってきては話し掛けてくるので、怪しい気がします。

他にも出したはずのないものが別の場所に放置してあったりして、気持ち悪いです。私は、常に鍵やチェーンをかけているので何も無かったですが、彼が被害にあいまくって、私は何もしてないのに、きまずくなって嫌でした。

後に会った日本人2人に話しを聞くと、服務員が「2人で一緒にシャワーを浴びろ」とうるさいので、2人で浴びることにして、忘れ物に気づいて部屋に戻ったら、服務員が部屋の中に居たそうです。服務員は英語で、clean, cleanと言いながら出て行ったそうですが、手ぶらで掃除?とにかく怪しいです。1泊で出ました。

五環ホテル:日本語で「ごゐんホテル」と書いてあります。1泊4人部屋15元。まあ値段なりの部屋です。ベッドは板。腰が痛い。シャワーはかなりぬるいです。夏はいいけど、今は寒いので困る。

敦煌飯店:1泊25元から45元まであります。シーズンオフは値切れます。値切らないと表示料金のまま。ホットシャワーはとてもホット。トイレは、溝トイレ。後ろの人のうんこが目の前を流れていきます。仕切りがあるだけましだけど。ホテル自体はとてもきれいです。溝トイレもとてもきれいな溝なので、うんこがリアルに流れてくる。。。

2001年4月14日 敦煌、砂漠見学に行く
夕方から鳴沙山に行きました。ニコニコ食堂の自転車で1時間1元。片道22分で到着です。

私のイメージの砂漠とまったく違っていてびっくりしました。なだらかな砂丘がずっと向こうまで続いているイメージだったのに、突然どどーんと、山のようにでっかい砂漠がありました。あまりのでかさに、あらまーって感じでした。体調がすぐれないのでとても登れたもんじゃないと思って入場はあきらめました。

夜は夜市に出かけました。ケバブを食べるのが目的です。ここのケバブは、多分全部羊です。一本0.5元。なるべくたくさん人が座っている屋台を選んで入りました。2つの店をはしごして、8本食べました。うまい!うまいよー!元気なら倍は食べられそうですねー

2001年4月15日 敦煌、今日はだらだら
今日はひたすらだらだら。最近時代劇にはまっていて、テレビで時代劇を探しては見ています。おもしろいよー。必ず女が強い。実際、中国は女性が強いと思います。列車でも、ホテルでも、レストランでも女性ばかりです。男は道端に座り込んでゲームをしたり、ぼーっとしたりしてる人が多いです。明日は、ウルムチに移動です。約12時間の列車の旅です。ではでは

2001年4月17日 ウルムチに到着
今朝早くウルムチに着きました。今日は、孔雀賓館という60元のツインに、一人で泊まっています。なかなか贅沢ですなー。シーツがきれいで、ベッドも気持ちいいです。ほんとはシングルが良かったけど、空いていないので残念でした。バスは共同なんだけど、60元もするくせに、水シャワーでがっかり。また風邪がぶり返すと嫌なので、浴びていません。すごく汗をかいているので、臭いかもー。ウルムチは、郊外の南山牧場や天池が有名だけど、今はシーズンオフなので、ツアーをやってないような感じです。
午前中は、ウイグルのバザールに行ってきました。別にどうってことないなー。
昼に食べたウイグルのピラフみたいなもの、まずくてだめだった。午後は、新疆で一番でかいという博物館に行ってきました。博物館の門を入るとそこには。。。博物館が無い!博物館があったであろう場所に、ぽっかりと穴が空いていました。どうやら全面改築するらしく、展示物は別の所に移動しているようです。管理のおじさんの言うとおり、移転先に行ってみましたが、場所が全然わからず、さんざん歩いてまたおじさんのもとに戻って、もう一度聞いて行ってみたけど、わからなかったのであきらめました。疲れた。地図ぐらい置いとけよ!
アイスを食べようと思って買ったら、パッケージと中身が全然違いました。疲れてるのに余計疲れるー。どうなってんだ中国!(怒)

ウルムチはもういいです。明日できればトルファンに移動したいです。
なんか旅に疲れてきました。「旅倦怠期」でしょうか。。。

2001年4月18日 トルファンに移動、ぼったくられる
はろー。4月18日午後、トルファンです。ウルムチからバスで3時間です。
が、バスが高速道路の途中で故障してしまい、バスの乗客20数名は、ヒッチハイクしてトルファンに到着しました。

私は荷物が大きいので、運転手の友達が助けにくる最後までバスに残っていました。しばらく見ていたら、日本語で「バスが故障しちゃったですね〜」と言いながらウイグル人が入ってきたので、「お〜、日本語みたい、くすくす」と一人で笑っていたら、日本語ぺらぺらのウイグル人でした。この偶然の出会いが、ぼったくられの始まりでした。。。その助けにきた来たウイグル人の車に8人でトルファンに到着しました。

日本語ぺらぺらのウイグル人の名前は、「ママト」です。日本名は「安岡力也」(確かに似ている)。日本人の間では有名なガイドです。私は敦煌の情報ノートで彼のことを知っていました。トルファンには日本人に有名なガイドが数人いて、力也もその一人です。まさかこんな形で出会うとは思っていませんでした。

私以外すべての乗客が降りた後、「ホテルを探してあげる」と言われ、まず私が行こうと思っていたホテルをすべて回ってもらったけど、今はシーズンオフということで、どこもドミトリーはありませんでした。しかたなく、120元のツインが一番安かったのでそのホテルに決めました。

ホテルが決まると「観光に行かないか?」と言われ、「今トルファンには、観光客が少ないから車を一台チャーターしなくては行けない。ちょっと高くなる」と言われました。彼の言い値は、トルファンすべての観光地を回って450元。450元ですって!?あまりの高さにびっくり!!!トルファン郊外の遠い所の観光だけだと350元とのことです。350元でも高い!

でも確かに一人で一台チャーターしたらそれぐらいかかってもしかたないのかなーって思いました。トルファン郊外の観光は絶対にしたかったので、まあいいかーと思って行く事にしました。

郊外の観光地はすべて20元に統一されていました。でもはっきり言って、めちゃつまらん!20元も払って見る価値全く無しです。しかもチャーター代金350元も払って行くなんてとんでもないぐらいしょーもない。確かに見たという事実だけが残りました。まったくやってられんわ!!!

ホテルに戻り洗濯をしていたら電話が鳴りました。以前洛陽に居たときも電話が鳴り、中国語で訳のわからんことを一方的に話されて嫌な思いをしていたので、日本語で「もしもし?」と出てみたら、やっぱり無言電話でした。

すぐ切って、洗濯物を干していたらまた電話が鳴ります。もう無視しようと思って出ませんでした。そしたら、ドアをノックしてくるので、おそるおそる開けたらなんと、西安で再会した男の子(ぶんちゃん)と、西安で初めて出会って敦煌で再会した男の子が立っているじゃありませんか!

今トルファンには外国人観光客が非常に少ないので、どこのホテルに日本人が居るか、現地人にはばればれだそうです。だから二人も何の説明も無いまま、私の部屋に連れてこられたそうです。お互いに驚きの再会でした。

お互い持っている情報の交換やこれからについていろいろ語り合いました。
そこで、私は、あの日本語ぺらぺらウイグル人ママト(力也)にすっかりだまされたことを知りました。ほんとは50元ぐらいでバスステーションからツアー出ていたそうです。

彼らもママトに出会ったけれど相手にしなかったそうです。シーズンオフだからツアーは無いと言われていたのに。確かにシーズンオフでドミトリーも無かったので信じてしまいました。やられた。。。

くやしーけど、もう終わったことだし。。。と思いたいけど、くやしー!
トルファンでは安岡力也に、ママトに気をつけて!

しばらく話しているとまたドアをノックする音が。開けてみると何と敦煌で同部屋だった男の子(とみたくん)が立っているじゃありませんか!こっちもびっくりしたけど、彼は驚きのあまり言葉を失っていました。

もう一人の日本人(彼とも再再会)と皆で外に出かけ、冷えたビール(中国で初めて冷えたビールを飲んだ)を飲んで語り合いました。気が滅入って疲れていたので日本人といろいろしゃべれて、かなり気が楽になりました。

2001年4月19日 トルファン、ビザを延長
ぶんちゃんと私以外の皆は、ウルムチに移動しました。別れ際に「まいちゃんは、だまされやすいから、ぶんちゃんと一緒に行動しなさい」という有難い(?)お言葉を頂きました。だまされないように頑張っているんだけど。。。

今日は、ビザの延長に行ってきました。トルファンのビザ延長オフィスは、移転しています。「旅行人ノート」に載っている場所から800mぐらい離れた公安局外事科です。「旅行人ノート」に載っている場所に行けば、新しい場所を教えてくれます。

ビザの延長は蘭州と敦煌では250元ですが、トルファンでは125元でできます。1時間ぐらいソファーで待っていればできます。私は、楽々1ケ月延長できました。
その後は、ウイグルのバザーをうろついてきました。バザーにもそろそろ飽きてきた。

ウルムチではまだ漢民族の方が多かったけど、トルファンはウイグル人の方が圧倒的に多いです。今までは、歩いていると、「じーぺんじぇん、じーぺんじぇん」と言われたけど、ここでは、「やっぷー、やっぷー」と言われます。

明日、ぶんちゃんと一緒にカシュガルに移動します。列車の切符は当日しか売ってないそうです。駅に行ってみてから決まるので、取れるかどうか心配。24時間近くかかるので寝台が取れなかったら最悪です。

そういえば、日本では首相が交代して中曽根になったんだとか。。。。旅行中はいろいろな噂が飛んで面白い。まさかほんとじゃないよね。。。?

2001年4月20日 トルファンからカシュガルに移動
120元もしたトルファンのホテルをチェックアウトし、ぶんちゃんと一緒にバスステーションに行きました。トルファンで通ってたソフトクリーム屋さんの子と一緒に行って、チケットを買うのにちょっと手伝ってもらったりしました。

ウイグル人の日本語ぺらぺらのガイド、(日本名)まことさんが現れ、通訳してもらったりして、無事チケットが買えました。

ウイグル人のガイド、ままと(力也)は最悪な男でしたが、まことさんはめちゃくちゃいいやつです。トルファンには、日本語を操るウイグル人がたくさんいて、みんな日本名を持っています。まことさんは、真面目でいい人です。あいちゃんもいい人だそうです。しんごちゃんは、「ぼってますよー、ごめんねー」という顔をしながらぼってきます。分り易くていいけど。。。力也は最悪です。ぼりぼりです。

トルファン駅でも無事にカシュガル行きの寝台の切符が取れました。約30時間の列車の旅です。各駅停車で古い車体なので安く行けます。快速だと300元ぐらいですが、私たちの乗ったのは171元です。そのかわり遅いし車内は汚いです。

列車の中で、隣のベッドの日本人女性に出会いました。私は彼女の元彼に会っていたので、彼女のことは知っていたけど、彼女も私のことを知っていました。私が敦煌の情報ノートにいろいろと落書きをしていたのを読んでいたそうです。それから、敦煌で私を探していたCITSの人にも私の行方を聞かれたらしいです。また、旅の途中で会った人も私のことを聞いていたらしいです。私って有名人?(笑)。まあ、それだけツーリストが少ないってことだと思います。日本人が居たおかげで30時間もあっという間でした。一人だとひたすら暇だからねー。

4/21日の夜10時に中国最西端の街、カシュガルに着きました。
列車で会った日本人女性の名前は、あきこさんです。

2001年4月21日 カシュガルに到着
夜10時にカシュガルの駅に着きましたが、町はまだ明るいです。こんなに北京と離れているのに時差が無いので明るいです。一応、新疆時間というのがあって、北京より2時間遅く動いている人たちも居ます。でも公式ではないです。

列車で知り合った漢民族の人がタクシーと交渉してくれて、ホテルまで適正料金で行けました。ホテルは、チニワク賓館です。ドミは1人1泊25元で3ベッドです。部屋はきれいです。5階建てだけど、1,2,3,5階は工事をしていて使用できません。だから4階に全部の客が固まっています。シーズンオフなのでそれでも部屋は余っている状態です。工事中ということもあって、昼間は断水したり停電したりしてたけど、多分シーズン中は大丈夫なんじゃないかな?

2001年4月22日 カシュガル、バザールで子供と遊ぶ
日曜日です。カシュガル最大の見もの、日曜バザールの日です。ガイドブックによると5万人が集まるんだとか。お昼からは、団体のツーリストが来るらしいので、私たちは朝出かけました。確かにすごい規模のバザールでした。売り物の山羊たちが路上にたくさん居ました。山羊の頭や皮が、まだ血を流したまま置いてあったりして驚きです。

私は歩きつかれたので、橋の上に座り込んで、ひまわりの種をひたすらぼりぼりと食べながら人並みを眺めていました。しゃがみ込んでいる私が相当珍しいらしく、通りがかりの人たちは、口をぽかんと開けながら、じーっと見て行きます。それが面白くて、1時間くらい座り込んでいました。

そのうち、子供たちが寄ってきて、口々に何か言っています。ウイグルの言葉なのでさっぱりわかりませんが、折り紙で手裏剣を折ってあげるとすごく喜んでくれたので、鶴も折ってあげました。そしたら、もっとたくさん欲しいと言ってくるので折って上げたらどんどん子供が集まってきてしまい、私は、1時間近くずっと折り紙を折るはめになりました。

子供たちもバザールでお店を手伝っているけど、1時間も私と一緒に遊んでいたせいで、親にかなり怒られていたので、可哀想だから、ウイグルの言葉で「さよなら」を言って別れました。もう一度バザールの中心の方に戻ったら、ものすごい人だかりだったので、もうホテルに戻って休むことにしました。お昼寝をして、外に出かけたら、敦煌で会った葉っぱ好きの人に再会しました。(あきこさんの元彼)

2001年4月23日 カシュガル、ホテルを移る
ホテルを移動しました。色満賓館です。ツインのドミで1人20元です。私とあきこさん、元彼くんとぶんちゃんに分かれました。色満賓館に着いて、元彼くんの部屋を訪ねるとやっぱり「吸って」ました。。。

あきこさんと元彼くんと私はパキスタンに向かうので、国境が開くまでこのホテルに滞在です。今居るインターネット屋さんは、1時間4元です。入口に「未成年禁止」と書いてあって、中も暗いので不安でしたが、普通のインターネット屋さんです。

2001年4月23日 カシュガル、ラグメンを食べ下痢
夜ご飯を4人で食べに行くことになり、ホテル近くの食堂がおいしいということなので食べに行くことになりました。ラグメンがおいしいと、元彼くんが言うので、それを皆で食べました。食べ終わったときに元彼くんが、「ここのラグメンを食べると下痢するんだよねー」。それを先に言えー!その夜から翌日の朝まで、全員残らず下痢してました。もうげりげり。

2001年4月24日 カシュガル、砂鍋を食べる。また下痢
パキスタンとの国境が開くまであと1週間。今日は朝からだらだらしました。洗濯したり、4人でトランプをしたり。夜はストリートの「砂鍋」を食べました。おいしかったよー。でもやはり翌日全員下痢しました。

2001年4月25日 カシュガル、ひたすら暇
暇ですねー。だんだん外国人が多くなってきました。皆、国境が開くのを待っているようですが、いったいいつ国境が開くのでしょう?どうやったら開いたことが分るのか、疑問です。多分5月1日に開くと思うんだけどなー。日本人は、今のところ6人しか知らないけど、西洋人の姿が増えてきました。

今日は、長ズボンを洗いました。面白いくらい汚れが落ちるのでやりがいがある。乾くまで短パンなので、外に出ることができなく、部屋の中でだらだらしたり、トランプをしたりしました。ここはイスラム色が濃いほうなので、短パンで外に出ることはちょっとためらわれます。なるべく肌を見せてはいけないので、熱いのに長袖と長ズボンです。

国境が開く前にタシュクルガンに行ってカラクリ湖を見てきたいです。だから、タシュクルガンから国境に向かうことになるかもね。

2001年4月26 カシュガル、富田くんを発見
今日は、カシュガルのメインストリートで富田くんを発見しました。彼とは敦煌で初めて会って、トルファンで再会しましたが、彼もパキスタンに抜けるのでカシュガルで会うだろうと思っていたら、会えました。私とは、別のホテルに泊まっていて一泊15元だそうです。何とかリバーサイドホテルだったかな?白人もたくさん泊まっているようです。今日も夜は砂鍋を食べました。

2001年4月27日 カシュガル、ビリヤードざんまいの日々
最近毎日ビリヤードをしています。始めは玉に当たらないぐらいへたくそだったけど、やっと当たるようになりました。狙うのはまだ無理だなー。毎日ほんとだらだらしていて、夜寝るのも夜中の3時だったり4時だったりします。けれどこんなだらだらもいいのではないでしょうか?なかなか楽しいです。

お腹の調子が悪いので夜は、あまり食べず、ホテルで果物を食べました。月曜日にタシュクルガンに向かうことになりました。

2001年4月28日 カシュガル、下痢の毎日
お腹いたーい。水下痢です。カシュガルではずっと下しているなー。何を食べて下しているんだろう?

4/29は、もう一度、日曜バザーに行く予定です。
4/30は、タシュクルガンにバスで向かいます。
そこで1泊か2泊して、パキスタンとの国境に向かう予定。タシュクルガン滞在中にカラクリ湖に行きたいです。チベットに向かうぶんちゃんとお別れになるので寂しいなー。

パキスタンに入るとギルギットまでネット環境が無いので、しばらくネットできません。ギルギットも通信状態があまり良くないそうなので、もしかしたらラワルピンディーまで無理かも。6月初めくらいにラワルピンディーかな?
それでは!

2001年4月30日 カシュガル、がびーん!
タシュクルガンに移動の日です。すんごくお腹の調子が悪くて超下痢です。朝6:30に起きて、4人でバスステーションへ。結構遠いけど歩いていきました。

ところが、チケットが「メイヨー」!!! 何だってーー!!
しかたがないので、インターナショナルバスステーションの方へタクシーで移動しました。ところがこっちも「メイヨー」!!! 何ですってーー!!

近くに居たおじさんが「どこに行くのか?」と聞いてくるので、タシュクルガンに行きたいのだと説明すると、「そのバスはチニワク賓館(カシュガルで1日目に泊まったところ)から出ている」というので、その言葉を信じて、そのおじさんのタクシーでチニワク賓館に行きました。けれど、どのバスかわからないので、「どのバスだ?」と聞いたら、「明日出る」というじゃありませんか!中国語とウイグル語を多分混ぜてしゃべっているので、一部分しか聞き取れないけど、確かに「明天要」と言ってる。「今日は?」って聞いたら「メイヨー」。。。おーい!何だそりゃーー!

よくよく聞いてみたら、「でかいバスは今日はないけど小さいバスならある」と言っている。で、「そのバスはどこから?」って聞いたら、回りをきょろきょろ見渡して、首をかしげて去っていきました。何なんだよ!

まあ、バスも無いことだし、しかたがないので、チニワク賓館にもう一泊することになりました。ホテルのフロントにバスのことを聞くと、やっぱり、「tomorrow」といわれ、わざわざバスステーションに電話して確認してくれました。

25元の4人ドミトリーを御願い!安くして!って頭を下げて20元にしてもらいました。ふぅ。いやいや。疲れたね。チェックインしたあと、天南飯店の傍のバスステーションにチケットを買いに行き、お昼はおいしい砂鍋を食べました。

チケットは、前もってゲットしないとね。ただ、インターナショナルバスステーションの方は、前売りしていないそうです。パキスタンの国境を越えるバスは、やはり明日から走るようです。ということは、予定通り5月1日に国境が開くのだと思います。

今、カシュガルにはたくさんの西洋人とどこかの国(日本かもしれない)のツアー団体がいっぱい。全員一気にパキスタンへと消えていくのでしょう。私はいつパキスタンに入るかなー。タシュクルガンが居心地よかったらそこに居るし、さっさと抜けたかったら抜けます。実は今また風邪をひいていて、ゲロゲロです。下痢もひどいけど食欲はあるので、前回ほどきつくはありません。

明日は、タシュクルガンに移動です。新疆時間の7時30分なので、北京時間の9時半出発ですね。
それでは。

2001年5月1日 タシュクルガンに移動
カシュガルからタシュクルガンに移動しました。ザックはズタ袋に入れてバスの屋根に積み込みました。途中カラクリ湖を通ったけれど、干上がりかけの水溜りみたいでちっとも美しくありませんでした。

湖を過ぎたあたりでお腹にものすごい激痛が走り、バスの揺れに耐えられなくなり、運転手にバスを止めてもらってトイレしたけど全然何も出ず、苦しいまままたバスに乗り込みました。体中がカッーと熱くなり吐き気と腹痛がひどかったです。しばらくしたらウソのように治りました。なんだったんだろう?高山病かな?

タシュクルガンでは、交通賓館(ドミで10元)に宿泊です。停電と断水が多いです。大ニュース。中国からパキスタンに行くには国境で7日間のトランジェットビザしか今まではもらえなかったけど、5月1日現在、1ケ月のツーリストビザがタダで取得できます。パキスタンの北部でゆっくりできますよ!

さあ、これから国境越えです。

2001年5月2日 中国・パキスタンの国境(クンジェラブ峠:標高約5,000m)を越えました。最新の情報は、たびときどきにっき(パキスタン編)へどうぞ。