たびときどきにっき(マレーシア編
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旅の準備編

たびときどきにっき(中国編 2001・3・23〜5・2)
たびときどきにっき(パキスタン編 2001・5・2〜2001・7・6)
たびときどきにっき(タイ編 2001・7・6〜2001・7・11)
たびときどきにっき(インドネシア編 2001・7・20〜2001・9・18)

2001年7月11日 ペナン到着

マレーシアはペナン島でございます。バンコクからの寝台国際列車は超快適でした。日本のよりキレイで広いんじゃないかな?

5年間も放浪してる日本人のおじさん(55歳ぐらい)がいて、格好はきれいだし、泊まるホテルも高いホテルだからいったいどこからお金がでているんだろうって思いました。娘が私と同級生らしく「そろそろ結婚だね」なんていわれちゃいました。もう5年もうろうろしてるから働きたくないんだよねーって言ってた。うーん。どういう御身分なのでしょうか。けどぜんぜん英語わからないらしく、入国カードも名前のところにパスポートナンバー書いたり、発行日のところに誕生日かいたり、なんか大変。訂正だらけの入国カードなのに入国できたのもすごい。

入国は超簡単で、荷物検査は日本人だというだけでノーチェックでした。他の人たちはかばんあけられて大変そうだったけど。列車でぬけてきたのでまたしてもどこが国境かわからなかった。しくしく。

気温はわりと低いです。汗はじわじわでてくるけど。バスの表示や道案内は全部漢字がついているのでわかりやすい。それだけ華僑が多いのねー。チェックインしたゲストハウスのオーナーも多分華僑かな?歩いてる人日本人っぽいひと多くてみわけがつきにくい。真っ黒で濃い人もたまにいるけど。

体調がもとに戻らないので明日病院に行くことにしました。保険会社に電話して、日本人のスタッフがいてキャッシュレスで診察が受けられる病院を紹介してもらって予約も入れてもらいました。どきどきですねー。海外で初めての病院。

マレーシアのことちっともわからなくて、貨幣の単位もわからない。もちろん物価もわからない。タブーもわからないし、習慣慣習全然わからない!!!うっひょーですね。ではまた。

2001年7月12日 ペナン:病院に行く

さて、病院行ってきました。「Loh Guan Lye SPECIALISTS CENTRE」。宿から歩いて行きました。途中道がわからなくなり地図とにらめっこしてると親切なマレー人が教えてくれたのでそのとおりに行くと別の病院にたどり着きました。病院の駐車場で、妊娠中カップルに話し掛けて道を教えてもらってると、「車で送ってあげよう」といわれたので乗って送ってもらいました。

正しい病院に着いて、まず、「英語が話せないので日本語のできるスタッフを呼んでください」ってお願いして、来てもらいました。マレー人の女性でぺらぺらとまではいかないまでも、会話に困る事はないです。病院は中国人だらけで極たまーにインド人もいます。症状を説明して、待合室で待つ事2時間。テレビで中国の時代劇やドラマをやっていたので懐かしくてずっとみてました。診察の前に体重を量りました。2キロ太ってた。なんでーー???あんまり食べてないのに!下痢満開なのに!先生は中国人で若い。診察は思ったよりすごくしっかりしてくれました。お腹を押さえたりコンコンたたいて音チェックしたり血圧、体温、聴診器などなど。

通訳の人が、途中で日本語の単語がわからない英語があったようで、自分で作った日本語の単語帳を開き指差した言葉が、「セックスした時」。。。。なに?せっくす???無表情のまま一人で焦ってて、よくみたらその下を指差してた。「感染している」でした。パキスタンで食べ物から何かに感染しているそうです。なんで「セックスしたとき」の次が「感染している」なんだよー。エイズの話しかな。次に採血して、うんこ提出して、薬もらって終り。意外とたくさん血とられた。うんこは前日ワカメうどん食べたからワカメがいっぱいで黒い(汚くてごめん)。薬は抗生物質2日分と下痢止め2日分。

次は16日(月曜日)に行って結果発表です。熱がでたり異常があったらすぐに病院にくるように、ってしつこいほど言われました。結果によっては宿に電話するから、って言ってたけどそんなひどいものなのでしょうか。心配になってきた。どこも痛くないのが医者には謎だったらしく、ほんとに痛くないの?って聞かれたぐらい。ほんとのほんとにどこも痛くないのです。ただひたすら下痢。何回もトイレ行くのが面倒だよー。って感じ。薬貰ったから、食べたくないのに何か食べなきゃいけないのがつらい。ところでなんで太ってしまったのでしょう?

2001年7月13日 ペナン:豪遊中

抗生物質の効き目はすごい!!!といいたいところだけど、全く変化ありません。あいかわらずひどい下痢です。薬は2日分しかもらってなくて、もう飲みおわってしまうのに全く効いていません。なんなんだよー。高級リゾートホテルのプールにでも行こうかと思ったけど、ちっとも治らへんし、プールでほかの人たちに集団感染しても困るので止めました。

今日は退屈なのでジョージタウンを展望するためにコムタの58階にのぼって景色を見てきました。上から見てみると宿のすぐ近くが海辺なのに気がついて驚きました。明日にでも行くか。泳げるビーチはちょっと遠いので通院が終わったらビーチ沿いに宿取って泊まろうと思います。

最近、エアコン付きの宿に移ろうか悩み中。暑くて何度も目が覚めてしまうから熟睡できない。けどもしエアコン付きに移ったらもう外出できなくなるんじゃないだろうかって心配してます。だって快適だもんねぇ。エアコン付きに移るぐらいなら暑い国を旅しなくたっていいじゃないかって思ったりもするし。。。。クーラー病になるのもイヤだし。で結局、7リンギットのドミトリーにいるのでした。この辺でエアコン付きはどれぐらいするんだろう?100リンギットいくかなぁ?高い。。。。

毎日頑張ってなにか食べようとオーダーはするけどいつも半分も食べられない。もったいねー。カセットプレイヤーも買って、カセットもがんがん買ってます。なんか豪遊してます(宿は安いけど)。帰国日は近いぞ。この一週間で何度両替しただろう。はっはっはっ。

<今、帰国しない理由>
其の壱、日本も暑そう (日本が秋だったらすぐ帰った気がする)
其の弐、もし指定伝染病だったりしたら隔離病棟行きになって新聞に載ってしまう。

ふむ。旅だるい。だらけてます。金使いまくってます。ではでは。

2001年7月14日 ペナン:

今日起きたら4時でした(もちろん夕方)。昨晩はものすごいスコールで雷好きの私としては寝ていられませんでした。それ以前にあまりの雨音と雷の音でみんな寝られなかったけど。韓国人のおじさんに「サンダーガール」というあだ名をつけられてしまいました。

体調は相変わらずです。悪いです。もうまったくー。全部薬飲み終わったのに全然状況かわらへんでー。起きた後レセプションに降りていくと、ちょうど相撲やってたので見ました。ここの宿では衛星放送でNHKがみられるのだよ。相撲が終わったらイギリス人たちがチャンネル奪ってラグビーを大盛り上がりで見てました。叫びまくってる彼らを見ている方が面白かった。

夜は同じドミの男の子達とピザハットにピザ食べにいきました。おいしかったわぁ。夜の10時だというのにデパートはものすごい人込みです。子どもからじーちゃんばーちゃんまでいっぱい。たぶんほとんど中国人だね。中国といえば、2008年のオリンピック北京に決まったそうじゃありませんか。最悪。あんなところでできるのかねぇ。人民の心の改革をまずやってくれたまえ。

ここペナン島の中国人はサービスという言葉をわかっているし、譲る、とか、親切、っていうこともわかっています。ぜひぜひここの華僑の人々を北京に派遣して北京人を教育してもらいたいものだわ。それからこの島のインド人もぼったりしてこないし、割と親切です。5リンギットの買い物して間違えて50リンギット渡して帰ってきちゃったとき、一生懸命走って追いかけてきてくれました。ペナン島の80%ぐらいは中国人だそうです。インド人も多数います。

中国ではまったTV時代劇のVCDが手に入りそうです。でも高いっ。でもほしいっ!明日は日曜日ですね。何しようかなぁ。ほんで月曜日はまた病院です。どんな診断結果がでることやら。

宿のレセプションのおじちゃんに中国語で話し掛けてみたら中国語で返事が来た。やっぱり中国人だった。パキスタンにいたとき、宿のおやじとパキスタン人のおやじの会話が全部聞き取れた。すごいと思った。その国に3ヶ月もいれば結構しゃべれるようになるんじゃないでしょうか?まあ、文法はわからんけど単語はたくさん覚えるでしょう。必然的に。

タイは5日しかいなかったから、こんにちわとありがとうしか覚えなかった。今、マレーシアにいるわけだけど、中国語ばっかりなのでマレー語って一言も知らない。旅をしてて思うのは、どうして日本人は長年英語を習っているのにこんなにしゃべられないのかってことです。個人差はあるけど。でもパキスタンとマレーシアの人々はホントぺらぺらなのです。

2001年7月15日 ペナン:買い物熱止らず

ひえーー。助けてくれ〜!買い物熱が止まりません。ほしいものは遠慮無く買いまくり。すでにザックはいっぱいなのにもう入りきらない。土産物屋で10リンギットで買ったTシャツが別のところで5リンギットで売っていたのがショック。お土産にしようとおもってたのにくやしいから自分で着ています。食事も豪勢です。ふっふっふ。なんだかぶち切れているわたし。

2001年7月16日 ペナン:検査結果異常なし

2度目の病院です。今日は別の通訳が付くことになりました。受け付けのねーちゃんも日本語を話せるのでびっくりしました。血とうんこの検査結果は「異常無し」です。けど病状はまったく変わらず。痛みもなし。かっこいい若いお医者さんも首をひねるばかりです。あちこちたたきながら「イタイ?イタイ?」と日本語で言ってくるんだけど痛くなーい。私も「ノー、イタイ。ノー、イタイ」などと返事してました。

通訳さん「ベンにブンヒツモノはありますか?」??なんのこっちゃ??うんこに分泌物があるか?って聞いてるようで要するに固形かどうかを聞いてるらしいことがわかりました。うーん。ブンヒツモノ。通訳さん「ちゃんと薬食べてくださいね」。はい。ちゃんと食べます。食べてますよ。とりあえず、熱が出たら即入院ってことらしいです。

それから3日以内に症状が変わらなければ入院ですって。えーーーーーーーーーーー!?入院やで入院。入院するんやったら絶対シングルルームにしてもらってクーラーのきいた部屋で一日中テレビみながらごろごろして御飯の心配もしなくていいし、宿代もかからへんし。えーなー・・・はっ!違う違う。えらいこっちゃ。日本でも入院したことないのに。

2001年7月17日 ペナン:ビーチへ

ビーチへ行って来ました。バトゥー・フェリンギ。ジョージタウンからバスで40分ぐらい。聞いていた通りあんまり海はきれいじゃないです。泳ぐ気しなかった。高級ホテルのプールで泳ぎたかったなぁ。宿泊者以外はダメって言われちゃったのだ。金払うって言ってるのに。しかたがないので一人で砂浜で30分ぐらい寝っ転がって、帰りました。一人はむなしいなぁ。午前中早くに行って、30分しか焼いてないのに真っ赤になりました。30分で帰ってよかったかも。ちょうど正午に宿に戻り、ビールをのんで(昼間っから・・・)がーがー寝てました。

今朝、同じ部屋の日本人の男の子が二人とも出ていったのでめちゃくちゃさみしい。外人さんばっかりだよー。なんだか体調も良いし、ビーチは魅力的じゃなかったし、そろそろインドネシア入りしちゃおうかな。あさっての病院までに完治するといいんだけど。

2001年7月18日 ペナン:入院準備

昨日9枚ハガキかいたので朝の涼しいうちに郵便局に出してきました。それからはずっと部屋でごろごろ。昼過ぎにチェックインしてきた外人さんに「まだいたの?!」って言われました。えーと、誰でしょう。全然覚えてないけどどこかから帰ってきたみたい。夕方には日本人4人組がチェックインしてきました。なんか独特の雰囲気持った人ばっかりでとっても話し掛けにくいです。

さて病状ですが、昨日は一回もうんこでなくって、今日は1回。超くだってた。入院かしら?きわどいところですなぁ。今までは1日に10回ぐらいはトイレ行ってたし、かなりの進歩ではないでしょうか。でもパッキングもしちゃったりして、入院モードに入ってます。食欲旺盛だし、見た目はとっても元気なのでまあ大丈夫だと思うけどねぇ。どうなるでしょう?連絡途絶えたら入院したってことで(^^;

2001年7月19日 ペナン:感染は治った

朝から病院に行ってまいりました。トイレの数が減ったので「感染は治った」と言われました。もうメダン行ってもいいよって言われたので明朝行きます。通訳さんに日本食が食べられる大衆食堂を教えてもらったので行ってきました。いつも通ってる道の途中にあり、日本食は日本人が作っていました。カツ丼、親子丼、玉子丼、お好み焼き、スキヤキ、他にもいろいろあります。カツ丼(5リンギット)はホントおいしかった。量が多かったから結構残しちゃったけど、もっと早く知っていればたくさん食べに行ったのに。どこから来るのか、日本人のサラリーマンやOLも食べに来ていました。メダン行きのチケットを買うのにもうお金がなかったので1万円両替しました。今日はリッチにシングルに泊まるぞー。

ではしばらくネットできないので日記はお休みです。みなさんお元気で〜。私もお元気で〜。

インドネシアでの(あくまで)予定。

メダン-->トバ湖-->ブキティンギ-->パダン-->船でジャカルタ-->ジョグジャカルタ-->ソロ-->バリ島-->ロンボク島、って感じ。ビザが2ヶ月までなので、途中ジャカルタあたりからシンガポールに一旦逃げる可能性ありです。

つづき

あー、またネット屋に来てしまった。しかし、あれだねー。ペナン島を去るのはちとさみしいなー。楽しかったなー。特に何をしたというわけでもないけど。

全身黒チャドルで目だけを出したご婦人の横を、水着同然の露出しまくりの格好ですれ違う中国人女性が見れるなんておもしろいよぉ。そんでサリーを着たでぶでぶのインド人がずんずん歩いているんだもん。ビーチになぜか黒ずくめで目だけだしたチャドル姿のご婦人が多い。暑いでしょーに。何しに来てるんだろう?高級ホテルに泊まってるから旅行なんだろうけど、どこから?ビーチ楽しいかい?

女子校もムスリムとそうでない子供と制服が違っておもしろい。ムスリムの制服はシャツがひざ下まであって、だぼだぼのロングスカートでショールもついてる。そうでない子供は白い半袖シャツに短いプリーツスカート。インド人も中国人もまぜまぜ。おもしろい。ホント、ここは住んでもいいぐらい気に入りました。また来たいな。

200リンギットをインドネシアルピアに両替したら584000ルピアになった。4枚のお札が62枚の札束になって帰ってきた。こりゃ管理が大変。インドネシアは集団スリが多いからな。

インドネシア(特にスマトラ島)では、hotmailを開くだけで1時間以上かかるそうです。しかも1泊の料金よりもずっと高い。実際、メールなんてみれたもんじゃないし、送るのはもうほとんど無理だそうです。そんなわけで、次はジャカルタかな?ジャカルタまで1ヶ月ぐらいかかるだろうか。のんびり行きます。

2001年7月20日 インドネシア、メダンへ

たびときどきにっき(インドネシア編へ)